湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

1992年9月28日 祖母が他界した。

当時私は自宅浪人。
暑い夏が終わり、気温の上昇と共に熱を出すおばあちゃんの看病をする父母を横目に進研ゼミの課題をやったりしていた。
夏が過ぎ、祇園祭も終わり、だいぶ涼しくなったある日、センター対策を終えて、通信添削に出そうとポストに行こうとして、ふと居間(祖母の部屋兼居間だった)を覗いて、あまりにも静かだったから近寄って見たところ、祖母は息をしていなかった。

その日の朝、父の兄はアメリカに旅立った。
あと1日祖母が逝くのが早かったら、伯父はアメリカ行きを中止していたかもしれない。
伯父が行くのを待ったように、おばあちゃんは息を引き取った。

階段を駆け下りて、厨房に居た父達に、「ばーちゃん息してない」と言った。

主治医の先生を呼んだり、おばあちゃんを着替えさせたり、叔父達や、弟妹に電話をした。

2009年、9月28日、陣痛室に入ったと妹にメールをしたとき、今日はばーちゃんの命日だよ、と言われて、ばーちゃんがきっと守ってくれるよ、と、妹が言った。

大学に合格したのもばーちゃんの加護だよと親戚に言われていたし、店をやっていた父母に替わって私達兄姉の面倒を見てくれたのはばーちゃんとじーちゃんだった。

28日中に娘は生まれなかったけれど、翌日なんとか帝王切開で出産。

去年の28日はまるまる1日陣痛に耐えて耐えて、夜中は子宮口が開ききるように陣痛室を歩き回ったり色々したなあ。
とか思い出している。