湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

あれから二ヶ月

以下を書いたのは4月11日だったりするのですが、11日に茨城で大きな余震があったので、
下書きのまま公開しませんでした。
本当は昨日アップしたかったんですが、うっかり忘れておりまして。

今度はスペインでも地震が。
マグニチュード規模はそうでもないようですが、元々耐震構造ではない石造りの建物が多くあったという事で、大きな被害が出てしまっているようです。

地震続きで不安な毎日ですあります……。

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あの日の事を少し思い出してみます。
10日にセミナーに行くために早退していたので、心情的には早退したかったけれども、1日がんばらなくちゃなあとか思いつつ、昼食をとってから、さあ、午後もがんばろうかなと思っていた矢先の出来事でした。

偶々サーバ室の横にいたので、揺れている間中パテーションにすがりつくようにラック内のサーバを見守り続けていました。(さすがに中には入れなかった、落下物でケガしたくなかったんで)
揺れがおさまって、LEDの消灯箇所などがないかをチェックして、しばらくは茫然自失になっておりました。

あちこちから、建物に亀裂が入ったよ!
とか、
皆外に出てるよ!
とか、
家族に確認の電話をしなよ!

と、いう声が聞こえてきましたが、災害時ですし、恐らく携帯電話は通じないだろうなあと思いつつ、夫、義父、保育園の電話帳を一巡して、やっぱり繋がらない事だけ確認しました。

ちょうどフロア移動の時期で、つみあげてあった什器類が崩れていたので、揺れがおさまったら片付け作業があるのかな?と、動きやすいようにつなぎに着替えて、自席に戻り、一通りサーバにPINGを打ってみて、戻ってこないところがどこかを確認したり、サーバダウンした際の手順のドキュメントをひっぱりだしていたら、女性社員は避難所へ移動して下さいという指示があり、アルバイトの方や、他の女性社員と避難所へ移動しました。

避難所ではいつも持ち歩いているEeePCイーモバイルTwitterのTLを追ったり、後は不運にもよりによって渋谷で「よつばと!」展を見る為に上京していた妹とメールをしたりしていました。

17時でいったん社に戻りましょうという事で、避難所から会社へ戻り、途中公衆電話から保育園に連絡を入れて、娘がおじいちゃん達と帰宅した事を確認。

夫とはGmailで、妹とは携帯メールで。
義父だけが(携帯メールを使えないので)連絡がつかなかった為、ひたすら携帯が繋がるようになるまでリトライの繰り返し。(あまりよいことではないんですが……)

夫と、マンションに固定電話をひいていなかった事をしきりに後悔しておりました。

ようやっと義母と連絡がとれ、義父母と娘の安否確認がとれたところで、
JRが運行をとりやめてしまい、恵比寿から東京駅まで歩いてがんばったのですが、群馬にもどれず、そのまま東京駅で過ごすことになった妹の元へ行くことにしました。

実家の母は、混乱時だし、会社にいるように言っていましたが、土地勘もないところでたった一人で一晩過ごさなくてはならない妹の事を思うと、サマーウォーズ 栄おばあちゃんの言葉が思い出されて、

『一番いけないのは、一人で居ることとお腹が空いていることだからね。』

池袋から東京駅へ向かう事にしました。
幸い、地下鉄の一部と、都営荒川線が復帰しはじめているという事をTL上からひろい、東京駅近隣の休憩場所なども調べた上で会社を出ました。

3月末で退職が決まっている会社にいるよりは、一人で心細い思いをしている妹のそばに行く方がずっと有意義な事だと思ってしまったのです。あと、食料などもわけていただくのは気が引けてしまったんで。(社に残っている人全員分はなさそうで、ある程度帰宅して人数が減ってから出そうとしているようでした)

自転車を買って帰る人もいたようで、一瞬中古のバイク売ってたら買っちゃおうかな……とも思いましたが、事故も怖いので(そもそも売っているのを見なかった)都電の駅に向かいました。

元々二両編成な上に、それほど運行本数が多いわけでもないので、荒川線はひどく混雑していました。
駅からは行列になっていて、とても乗れそうにありません。

ここでGoogleリアルタイム検索を。

有楽町線が一部運行を再開しているとの事。池袋から有楽町まで行ければ東京駅まで歩くのは容易です。

私は荒川線の駅から池袋駅へとって返し、がらがらの有楽町線に乗って、無事妹と合流する事ができました。
妹は元気そうでしたが、夕食をとっておらず、(東京駅構内のお店はのきなみ閉まっていました)二人で移動する事にしました。

秋葉原UDXが解放されていましたので、秋葉原を目指し、途中でコンビニか食事のできるところがあったら入ろうという事で、恵比寿から東京駅まで歩いた妹をさらに歩かせる事に……。

妹は歩く事に抵抗がなく、なんだか二人ともテンションがあがっておりましたので、楽な道のりではありました。途中色々話などしながら、秋葉原へたどりつくと、居酒屋のスタッフの方が街頭であたたかいほうじ茶を配っていたのでいただきました。

妹がひたすら感動して、「ありがたいねえ、あったかいねえ」とうれしそうにしておりました。

ココイチを見つけたので、カレーで夕食。
コンビニで飲み物やお菓子を仕入れてUDXで夜明けを待ちました。

恐らく新幹線は在来線より復帰に時間がかかるだろうことを予想し、上野駅から高崎線に乗ろうと作戦をたて、夜明け少し前に上野に向かって歩き始めると、ドンキホーテが開いていたので、ここでカイロを購入。
普段よりも早い時間なのに、帰宅難民を予想して、早めに店を開けていたのだそうです。
ここでまた妹が「ありがたいねぇ」と。

途中寒さでコンビニで暖をとりながら上野駅へ。
駅が開くのを少し待ち、JRの方に高崎線の運転再開が8時頃と聞き、駅を後にしました。

やむをえず某カラオケ店で運行再開時間まで過ごす事に。

ドリンクバーでコーヒーを選ぶ妹を横目にココアを注ぐ私。

妹がそのコーヒーのあまりのまずさに
「なんで教えてくれないの!ひどいよ!」
と、怒っていましたが、私はそこのコーヒーがあまり美味しくない(妹ははっきりと、こんな不味いコーヒー初めて飲んだ、と言っていましたが……)事を知っていたので、それほど驚きませんでした。(何なのこの翻訳調のぎこちない言い回し)

「なんかこの部屋臭い……、私の仕事場(牛小屋)より臭い……」

と、文句をブーブー言っておりましたが、都内のカラオケなんてどこもそんなもんだし、暖かい場所でゆっくりできるだけましじゃないかとなだめました。
今まで、何があっても「ありがたいねぇ」と言っていた妹と同じ人物とは思えないくらいの憤慨っぷりでした。(まあ、お金払ってましたからね……、あと、妹はたばこの臭いが嫌いなんで、余計不快だったんでしょう)

上野駅に戻るとすさまじい混雑ぶりに驚きました。どこにこんなに人がいたんだろうというくらいの混雑。ああ、会社とかで過ごしてた人たちが出てきたんだなーと、電車運転再開を隣り合ったお姉さん達と雑談しつつ待ちました。

だいたい激昂して文句を言ってるのは年配の男性ですよねーとか、笑いながら。

10時半頃出発の高崎線にようやっと妹を押し込み(出発の直前までどこ行きかわからなかった)、乗り込んでから、

『前の4両は籠原止まりです』

の、アナウンスにびっくりして、外で見送っていた私が身振り手振りで大丈夫、この車両は高崎行き表示が出てる、と伝える場面があったりして、ミッション終了。

妹は私より背が低いのですが、多分足がついてなかったのではないかと思われます……。

気を取り直して常磐線に乗ろうとホームへ向かおうとして、あまりの待機列に驚き、TX運行開始を待とうと決め、歩いて移動した秋葉原、上野間を京浜東北線で戻りました。

ヨドバシカメラは通常営業をしていたので、ノートPC用のACアダプタやUSB給電の携帯充電器を購入して、電源が使えるルノアールで一人作戦本部設営。

会社に泊まった(しかも飲み会やってやがったあんちくしょう)夫と連絡をとりつつ合流する事にして、帰宅作戦開始。

TXは線路が浮いてしまい、流山おおたかの森→守谷以北は終日運休が決定しておりましたので、流山おおたかの森野田線で柏、柏から常磐線で取手 というコースをとることに決めて、夫と秋葉原で合流。
TXは始発から乗ったこともあり、すさまじい混雑という風ではありませんでした。(座れはしませんでしたが)
取手までは難なく移動できましたが、バス・タクシーを待つのは長蛇の列。
義父に迎えに来てもらうにも道路も混雑しておりましたし、万が一の時に義母と娘だけなのも心配なので、取手から守谷まで歩く事にしました。

常総線に沿って、新駅を横目に、稲戸井近くまで歩いたところでガソリンスタンド近くで突然声をかけられました。

ボランティアで送迎を行っている方でした。
夫と二人でしたし、何か悪意を持っている人には見えなかったので、お言葉に甘える事にしました。
他何人か歩いている人にも声をかけて、駅近くまで送っていただきました。
何かお礼をしなくては!と、思ったのですが、うけとってもらえず、その男性はまたもとの道を取手に向かって戻っていきました。
(道路が混雑しているんでわざわざ渋滞を抜けたところで待ち構えていたんだそうです)

駅近くのコンビニで降ろしてもらい、帰宅しようとすると、パーキングで困っている様子の老夫婦にでくわしました。(このあたり本当にRPG風な流れだったんですが……)

どうもエレベータに長いこと閉じ込められてしまったらしく、さらに運が悪い事に、うっかりラジオかライトをつけたまま車を降りてしまったようで、バッテリーがあがってしまったのだとか。

時間制のパーキングだったので、車を押して路肩まで移動させ、JAFへ連絡するところまでお手伝いさせていただきました。(携帯のバッテリも切れていたので)
すごく感謝されましたが、私たちも送迎をしてもらって人の親切が身にしみておりましたので、なんだか受けたご恩をすぐにまた他の人にまわせたというか、助けられて、助けて、という循環の心地よさに、ちょっといい気分にさせていただきました。

ようやっと帰宅した時にはもう17時を過ぎておりました。
娘は元気いっぱいで、おばあちゃん、おじいちゃんとずっと一緒だったせいか、ひどく不安がる様子もなくて一安心。

義母がごはんを炊いていてくれたので、おにぎりにして、お味噌汁と一緒に皆で夕食をとりました。

長い長い1日でした。