湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

育児書があてになるようであてにならない気持ち

結局育児というのは統計の一種のような気がしてしょうがないのです。
以前読んだ本で、子供の成長は遺伝子のみならず環境によるという事を説明する為、遺伝子としては同じ一卵性双生児を異なる環境で育てた場合という例がありましたが、それは一種の人体実験なのでは?

とも思いまして。

成果というと語弊がありますが、育児を論じようとすると、どうかすると自分の子供や自分自身を否定しなくてはならなくなったりもするわけで。

親が子育て失敗したわー!

とか言ったら子供の立場は?

ってなもんです。

また、うまくいった例は沢山あっても失敗した例というのは情報として共有されにくい。

結局模索するしかないのでしょうか……。
あうあう。