湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

自分語り

というか、母の話というか。
最近とみにやっつけ気味な記事が続いておりまして、何ぞネタはないかしらと。

飲みの席ではいやがられる自分語りもブログならばいいかしらと思って家族の話を書きます。

私の母が、弟を生んだのは43歳。
嘉門達夫が「サザエさんグラフティ」で、フネさんがワカメを生んだ歳だと歌った時に気づきました。
私は弟と6歳離れているので、母が37歳の時の子という事になります。

一時期物議を醸しました某ディーバの発言を真に受けるのなら、私は腐った羊水から生まれた人間という事になりますね。

私は今34歳で、今年で出産限界とも言われている(出典不明)35歳になりますが、そうしたワケであまり驚異に感じていないのです。

母が大丈夫だから自分が大丈夫というのは何の根拠にもならないのですが、そんな感じなのでうちはあまり結婚を急かされるという事がありませんでした。
父が40歳、母が37歳の第一子でしたので。

37歳で初産、そのあと2人の子供を産んだ母は、若い頃は(今もですが)大変な働き者でして、弟が生まれる直前まで店に立っており、数日で戻ってきた記憶があります。

しかし、そんな元気者の母も最近はだいぶ体調の不良をうったえており、元々貧血の性質だったのが、近頃は腰も痛いといって以前のような元気は見られない様子です。

昨年熊野へ旅行した折りに、夏越しの大祓えの形代を書き残してみたりもしましたが、あまり効果はなかったようです。

温泉へでも行ってきたらと薦めても、長湯が好きではない母はあまり気も乗らないようです。

子供を3人出産した事の負担というのは、もしかして歳を経てから出るのかしらと思うと、どうにも自分の事ばかりでなんですが、不安になったりいたします。

彼も遅く生まれた長男で一人っ子、(うちの両親と彼の両親は歳も近いのです)そのせいか、兄弟が欲しかった、できれば子供は3人くらい欲しいとかのたまうのですが(そもそもそれだけの子供を成人させるだけの甲斐性が私たち2人にあるかどうかもわからんのですが)母の姿を見ていると自信がもてなかったりするのです。

農家の三女で家事を切り盛りし、その後東京へ出て印刷会社の経理を勤め、嫁いだ先では3人の子育てに気むずかしい姑と小姑(未婚の叔母が同居しているので)、気苦労はさぞかし多かったんではないかなあと思います。

父がおとなしい方なので、我が家の外交官は母でした。
近所づきあいなども母が主にやっていて、イライラする事もあったはずなのに、母にひどく怒られた記憶はないんですね。

もちろん小言は沢山言われましたが、母が愚痴を言ったり、子供にあたったりすることはまったくなかったなあ。
書き出して思い返しました。

父は時々愚痴ってました。
子供心に客商売に向かない人だなあ、と思ってまして、父自身もそのあたりは気づいていて、父にはサービス業は気苦労が多いからやめておけ、と言われていた事も今ちょっと思い出しました。

なんというか主題のない文章になってしまいましたが、母は私をどんな目でみていたのかなあとぼんやり思います。

私一人が家を出て、弟も妹も実家におり、自分の監視下にいない娘というのはいったいどんな気分なのだろうかと。

ああ、まとまらない。
とりとめなく終わり。