弟の喪主デビュー
母もけっこうな年齢であるので、喪主は弟でした。(43歳)
事務手続き諸々は弟、
親族への連絡や近所への根回しは妹、
遠方親族への電話連絡は私がやってた感じですかね。(弟も妹も電話苦手すぎる)
町役場の手続きは3人で行き、弟が窓口で手続きしているのをぼんやり眺めていました。
ちょうど出生届を出しに来たご夫婦がいて、死亡届があれば出生届もあるわいなあ、などとぼんやり思っておりました。
昔に比べてほぼほぼ葬儀屋さんがやってくれるので、経験の浅い我々でもなんとかなりました。
(聞いたら担当の方が妹の中学時代からのお友達の旦那様でビックリ! な、場面もありました)
葬儀の時には挨拶などは省略しておりましたが、精進落としの時に弟が挨拶して、乾杯は父の弟のおじさんがやってくれました。(一番上のお兄さんはだいぶ耳が遠くて、ちょっとしんどそうだよなーと思ったので)
やっぱり学校の先生(叔父は高校の音楽の先生でした)は挨拶も上手だったんですが、去年の今頃に父のすぐ下の叔父さんが亡くなって、今度は父が亡くなって、兄二人が逝ったこの新緑の季節を少し嫌いになりそうですと言った叔父は、少し涙ぐんでいました。
弟は、カンペを見ながらではありましたが無事挨拶を終えました。
まだまだ先は長いので、経験積んでいって欲しいですねー。
お棺に入れて欲しいもの
中学の頃、友人達とコピーの同人誌を作っていました。(小学生の頃は肉筆回覧誌、っても鉛筆書きでしたが)
よく友人と冗談で、これお棺に入れて欲しいやーつと言ったものです。
父のお棺に何を入れようかという話になって、日頃かぶっていた帽子(亡くなった祖父の時も入れたんだよなー、毛糸のやつ)と、前掛け。包丁は燃えないのでパス、と、そこまで決まって、他にこれといって入れられるようなものがないよね……と、なった後に、それぞれが修学旅行で買ってきた扇を入れたらどうかなという話に。
私達兄弟は修学旅行の時に父に舞扇をそれぞれお土産に買っていたのです。(それ用の予算をもらっていたので、厳密にはお土産ではないんですが……)
妹の買ったやつ。
弟の買ったやつ。
私の買ったやつ。
父の戒名に『松』の字が入っていたので、胸元の一番目立つところに妹の買ったやつを。
足元に私と弟の買ったやつを入れました。
生花も入ってなかなかに華やかな感じになりました。
こういうのはあらかじめ聞いておきたかったかもしれんなー。
あ、あと、娘の書いた手紙も入れました。
家からレターセット持っていくの忘れて、なつかしのちぎりいちで買いました。
父の料理の写真を撮っていなかったなあ、そういえば
かつて仕事で、料理の写真撮影をして、メニュー表を作ってもらっていた時期がありました。(プロのフォトグラファーさんにお願いする予算がなかったともいう)
デジタル一眼を持っていたからです。
よく考えたら実家のメニュー表とか作ったらよかったなあ、と、今更なのですけれども。(父の手書きのやつが味わい深くて)
店のメニューであった、
ラーメン、カツ丼、モツライス、サンマーメン。
父が作ってくれていた、
赤飯、おはぎ。
ある程度は母も作れるのでしょうが、同じ味にはならないかもしれません。
写真、撮っておけばよかったなあ。
今は記憶の中にしか無いそれらを、映像化する事ってできるのかしらと調べたら、そういう技術もあるにはあるようですね。
ただ記憶を元に自分で絵を描くのと大きな差があるようには見えませんが、現時点では。
ネットで探したら、一人だけインスタに父の作ったカツ丼をアップしてくださっている人がいました。
四十九日の時に家族に見せようと思います。
精進落しの話
義父の時はそもそも告別式はうちの家族だけ(私、夫、義母、娘)だったので、特にお膳を頼むでなく、待合スペースでただひたすら待っていて(私は四十九日の宿泊手配や、テイクアウトのお寿司の手配などしておりましたが)、スマホを駆使し、娘はたしか塾の宿題をしていたような記憶があります。
今回は家族葬といいますか、広い意味で、親族のみの式だったので、父の兄弟や、母の親族もおりました。
本来であれば皆さんに挨拶して父の思い出など話をした方がよかったんですが、導師様が(私にとっては再従姉妹にあたる方)小中の先輩で10歳上の方だったものですから、ひたすら昔話をしてしまいました。
意識的に父の話をしようとするんですが、気がつくとご近所あるあるであったり、亡くなった祖父母、私の同級生の話などもしていました。
私の同級生に僧侶になった人がいて、僧侶同士のお付き合い(宗派は違います)があるようで、最近の写真を見せていただいたり、ああ、そういえばそんな事ありましたねえ、と、盛り上がってしまいました。
実家を20歳になる歳に出ておりますので、30年近く過ぎてしまっていたものですから、懐かしくなってしまいまして……。
父の好きな色や、音楽、食べ物など、私は何もわかってなかったんだなあと思いつつ、話をしているうちに浮かんでくるエピソードのひとつひとつをとりとめなく語り合うような精進落しでありました。
今週いっぱいは休ませてもらう事にしました
自分でも思いがけないミスをしそうで、少しインターバルを置かせてもらう事にしました。
出勤は月曜から。
丸々16日(半月)休む事になってしまいました。
そんな事もあります。
父の告別式が終わりました
さわやかな5月の、晴天、風も無いおだやかな日でした。
家族葬ではありましたが、遠方からお仕事など調整いただいて足をお運びいただいて、父も喜んでいたと思います。
父を送るにあたり、弟、妹がいるというのはとても心強く、嫁いだ姉などというものは情緒不安定気味にふらふらしているばかりで対して役にたたず、そのあたりはまた一人反省会しきりですが、ひとまず無事一段落してほっとしています。
四十九日については、本当に内々で行う予定です。
今日はもう寝ます。(昨晩あまり眠れなかったので)