湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

私はあと二人産みたかったよ

第一子を出産後一年後にリストラされて、再就職してからいきなり産休はまずかろうと一年か二年は実績を作らなくてはとあせって空回りした挙げ句に鬱病になって、このままでは第二子も危ういと仕事を辞めて不妊治療したけど結局産めなかったけど。

これって私に能力が無かったせいなのか?

意志はあってもうまく立ち回る能力が無かったらダメってわけ?

法律上出産後一年は解雇できなくても、法律上でクリアになったら容赦なくクビにするような会社に入ってしまったのは私の自己責任かもしれないけど、社会や制度が助けてくれたらあと一人くらい産めてたんじゃないかと思うよ、今は。

どうして個人に対して「産むように」とか言えるのか。自分にできる事はしたのか? 今それが可能な社会なのか? できる人は多分とっくに産んでる、じゃあ産みたくても産めない人に対して社会を制度を整えるのが国の役割なのでは無いのか?

それができる立場にありながら自分は何をしていたんだ。

不妊治療にかかる費用がもう少し安ければもう一度トライしようと思ったかもしれない。
保育園にもっと簡単に入れる状況があればもっと早い段階で仕事を辞めて不妊治療ができていたかもしれない。
産後の解雇についてのペナルティがあと一年余分にあったら間を開けずに妊娠できていたかもしれない。

タイミングもあったけど、『社会』が違っていたら結果は変わっていた。
『国民』に努力を求める前に『国』はできる事をしていたのか?

結婚しなくていいという人に結婚しろと言うだけだったら楽だが、子供を産みたいけど産めない人に助けの手を伸ばして制度を整えるのは難しいのか。『言うだけ』『書くだけ』だったら私にもできるよ。

『産んで』じゃねーよ、『産めるような社会にする』のが少子化対策じゃないのかよ。