湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

これも一種の殺害予告になるのでしょうか……

「このままでは義父を殺してしまいそうです」

 そんな軽口を叩いていたのは月曜日の事でした。
 夫が休みをとっていて、義父を見ていてくれたので、私は娘の送迎ができて、ミニバスの体験会の帰りにママ友相手に。
 大変だねえ、無理しないでねえとねぎらって下さるママ友に、引きつり気味の笑顔で返す余裕がこの時はまだありました。

 ……木曜の夜、同じセリフを言いました。

 110番を自分でかけて、出たオペレーターの方にです。

「事件ですか、事故ですか」

「事件です」

「お名前は、何がありましたか」

「ゆもteaと申します、このままでは義父を殺してしまいそうです」

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水曜は、デイサービスから戻った義父と私の二人だけでした。
ただし、私が子供会の役員会があった為、夫には早めに帰宅してもらい、19時には交代できたのです。

夫がいたせいか、帰宅願望も出ず、私が役員会を終えて戻った頃には義父は眠っておりました。

問題は木曜です。

17:30にデイサービスから戻り、
娘が帰宅する20:00頃まで、
義父はこたつに入ってずーーーーーーーーっと目の前のお菓子を食べ、テレビを見続けていました。
あったお菓子を全て食べきり、娘が帰宅。

夕食の後薬を飲ませて、(一回コップに全部戻していたので、水ごと捨ててもう一度、飲むところを見届けてから)その後は科捜研の女を見ていてくれたので、しばらく放置していました。

まともに話を聞いてもどうせ『帰る』と言い出すので、放っておいて、外に出ようとしたらそのまま周囲を歩かせて気が済んだら戻せばいいや、くらいの気持ちでいたのです。(水曜に真面目に話を聞いて相づちをうったりしていたのですが、1時間強でかなり消耗してしまったので)

科捜研の女の威力はんぱないですね。
認知症の老人の集中力を最後までもたせるとは……。

しかしドクターXに入ると

「そろそろ帰らないと」

が……。

布団も敷いて、今日はここに泊まって下さいと言っても

「帰る」「帰る」

の一点張り。

こうなるともう一度は外に出ないと収まらない為一旦外に。
気分転換と、万が一私や夫が目を離した隙に外に出てはと、一度交番へ挨拶へ。

気をつけてはいますが、万が一徘徊、なんて事になった時に相談する事があるからかもしれないと思っていたのと、
これ以上(17時半から4時間半が経過していました)一人で対応し続ける事に限界を感じていたのです。

幸い、お巡りさん達は慣れた様子で義父から話を聞き、その間に私は現状の義父の様子、
連絡先などについて説明をしました。

万が一居なくなって捜索という事になった時の為に
直近の写真を撮っておくといいですよ、
というお巡りさんのアドバイスに、ガラケーで写真を撮ろうとしたのですが、
モリーがいっぱいで、じゃあ後で、などと言いつつ交番を後に。

もう何度目になるかわからない、
「今日はここに泊まりますから」
という説明をして、部屋のドアを開けると、見慣れない光景にクビをひねる義父。

「いやー、やっぱりいいですよ、家に帰りますよ」

と、脱力しそうになる言葉が。

今日はもう遅いですから、などといいながら一応部屋へあげたのですが、敷いた布団を見て、

「明日も仕事なんで、ああ、もうこんな時間だ」

という義父の言葉に、私は崩れ落ち、感情をコントロールする事ができなくなってしまいました。

最近、更年期が近いせいか、まれにナプキンから漏れるほど一度に大量の出血をする事があるのです。
昨晩はまさにそういう状況で、
おそらく汚れているであろう下肢を洗う為に風呂場に行くこともできず、
このまま外に行くこともできない状況でした。

交番に行った時、夫にメールをすると、まだ職場の最寄り駅で、帰宅するのは23時過ぎるだろう事はわかっていました。

私は泣きながら義父に懇願しました。
お願いですから今日はここへ泊まって下さい、困るんです、本当に、と。

しかし義父は目の前で泣く私に、一遍の同情する様子すら見せず、自分の都合ばかりを並べます。

今いる場所がわからない事、
自分が誰かわからない事、
直近の記憶が無い事、
私が誰かもわかっていない事、

それはいいのです。認知症ですから。

しかし、目の前で泣いている人に対して何の感情も動かさない義父に対して、
私は本気で殺意がわきました。

目の前の出来事にどう反応するかは、記憶の介入は不要のはずです。
実際テレビを見て笑ったり反応する事はできるのですから。

義父は力も強く、私がつかみかかったところで返り討ちに合う事は目に見えています。
義母に手を上げた事もありました。
私が取っ組み合いのケンカをしたのは小学生以来です。
安全に行動の自由を奪う技術もありません。

クビを締めるかもしれない、
鈍器を頭に振り下ろすかもしれない。

あるいは、ベランダから突き落とそうとするかもしれない。

娘は自分の部屋にいましたが、部屋の外のただならない空気に気づいているかもしれない。

認知症介護の為の緊急SOSもありますよ、そう、子供会の役員さんに聞いていました。
しかし、それを調べて電話をするような時間も心の余裕も無かった私は、
固定電話の受話器をとり、110をコールしました。

すぐに警官が行きます。

そう言われて受話器を置き、再び義父と対峙しました。
目には殺意がみなぎっていたと思います。

わずかに異様を察したのか、義父は再び帰ると言い出します。

私がおさえたのは自分の腕でした。
動いてはダメだ、考えてはダメだ。
夫の帰宅までの1時間半待つ事はできなくても、
警察の方が到着するまでであれば……。

                        • -

 来たのは、さきほど話をしていた交番のお巡りさん二人でした。

 一人は帰ると言って靴を履いてしまった義父を玄関先で食い止めてくれて、私はもう一人のお巡りさんと話をしました。

 まだ行動には移していない事、ともかく落ち着いて下さいという事。

 下着を替えたかったのですが、男性二人であったので言い出せないまま話をしていると、女性のお巡りさんもやって来ました。

 そこで始めて私は風呂場に行き、大量出血する下肢を濯ぐことができたのでした。

 ささいな事で110番通報をする人がいる。
 迷惑な事だ、と、認識していた私は来てくれたお巡りさんにしきりに詫びましたが、お巡りさんは私を責める事はありませんでした。

 しかし、危害を加える旨を自分から通報したわけですから、状況を確認しないわけにもいかず、女性のお巡りさんが娘から事情を聞き、義父の身体に傷や危害を加えられた形跡が無いかの確認はありました。

 23時を過ぎて夫が帰宅すると、お巡りさん達は引き上げていきました。

 お巡りさんに外へ行く事を阻まれていた義父は、夫に対して(お巡りさんに対して怖くて向けられなかった分も含めて)憤慨し、夫は一旦義父を外に連れて行きました。

 そういうところだよ。

 そういうところもいやなんだよ。

 相手によって態度を変えるところ。

 かなわない相手に対しては大人しくなるくせに、そうでは無い相手に対して態度を変えるところ。

 認知機能がおかしかったとしても、基本となる性質は変わらないんじゃないかと私は思います。

 ……結局、一回りして戻ってきても、義父は布団に入る事を拒み、こたつで寝ました。

 義父にとって、夫は息子という認識は無いものの、一応身内であるとは思っているようです。義母もそうです。しかし私は完全に他人です。他人の家に泊まる事を嫌がるというのはわかります。だから仕方無いのです。

 最初、夫に義父と一緒に実家に泊まってくれないかと頼んだのですが、実家は寒く、快適な環境から出る事を避けてなのか、受け入れてくれませんでした。

 あんたら本当にそっくりだな!!!!

 土曜日は娘の試合があるので、金曜はデイサービスから戻ってくる時間までには夫が帰宅し、実家に一泊する事になりました。慣れた家であれば、少なくとも「帰る」と言い出す事は無いと思うので。(実際義父が自宅から「学校へ行く」「会社へ行く」と言い出すのは日中のみで、夜言い出す事は無かったので)

 働いている夫に替わり、無職の私ができる事はやろうと思っていたのですが、無理な事は無理なのだともっと早く言うべきでした。相変わらず私は自分の能力を過信しているし、何とかできると思ってしまうのです。そして結局大騒ぎをして迷惑をかける。

 認知症で記憶はなくしても、私とやりあった記憶は不快なものとして覚えているのかもしれません。
 でも、だからといって信頼を得たいと一ミリも思えないのです。
 だって心の底から軽蔑しているから。(それは多分認知症になる前からです)

 義父の共感力の無さは認知症になる前からそうでした。

 時折、こまった夫の例で、病気になった妻に対して、「俺の夕メシは?」と、聞いたり、自分の分の弁当だけ買ってきたり外食する夫の行動がSNSなどで見られますが、義父はまさにそのタイプです。

 しかし、色々気に病みやすく、落ち込みやすい私は、心のどこかで義父をうらやましく、またそうして振る舞える事をずるいと思っているのかもしれません……。