湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

母の心が折れた音

ああ、ずっと無理をしていたんだなあ……。
ここ数日のしんどさに、泣く事が増えて、ツライと思ってる事を言語化する事にしました。

ブログなので、見栄を張っていた部分もあり、素直な事を書こうと思います。
夫に愚痴っても「じゃあもうバスケやめさせなよ」と言われるだけだし、他のママに相談したところで、毒を吐くだけになってしまいそうで。
ただ、自分がどう考えているか、そうやっていつもしていたように、気持ちを整理する為に書きます。

しんどいなあ、と思ったのは、娘が4年の時。
U10の大会で、3年生がメインで活躍していた頃。
それはしょうがないんですが、大会後の打ち上げに4年生が二人とも呼ばれなかった事です。

学年で仲がいいし、3年生で集まろうとなっただけで、意図してハブられたのでは無い、と信じたいところですが、内緒にしておけばいいのに、3年生の一人が「終わったら打ち上げするんだ♪」というのを聞く、という事がありました。

3年生も、別に4年生を仲間はずれにしたいわけではなくて(だったら相当邪悪ですが)、お楽しみの事だから、うれしくてぽろっと言ってしまっただけなのですが、聞いた方の4年生は正直あまりよい気持ちにはなれませんでした。

大会が終わり、最後のU10なので、4年生から3年以下の皆にお菓子を配って、一旦帰って着替えて集合ね、と、帰って行く3年生を見送って残された4年生に、5年生が哀れに思って後日皆でサイゼリヤに行く。

という事がありました。

これが一つ目。(私はいまだにこれを根に持っていて、下の学年は無意識に誰かをのけ者にし、それに対して罪悪感や抵抗は無い という刷り込みがされました)

そして、秋の大会に向けて、ベンチメンバーが決まり、娘は15人の中には入れましたが、試合に出る10人には入れませんでした。10人に入ったのは3年生の二人。

そして、10人(Aチーム)のみが練習する日が設けられ、サッカーを辞めて練習日に参加するようになっていたにも関わらず、『来なくていい』という事で体育館に入ることすらできなくなりました。

今思えば、練習だけでも参加させて下さいと言っておけばよかったと思っています。
けれど、10人にだけ配られたマスコット、明らかにされる区別。
ツラかったし、嫌でした。

ただ、この件をきっかけに、私はバスケットボールを勉強するようになりました。
本を読み、動画を探し、インターネットで調べまくったのはここが原因です。

スタッツを出し、娘の実力不足を知り、がんばろうというきっかけにもなりました。

これが二つ目。

ないがしろにされても、ぞんざいにされても、「試合に出られないのになんで来るの?」とか「下手くそ」と、3年生に言われても、がんばろうと励まし続けたのもこの頃です。

今思えば、ここで辞めておけばよかったかな、とも思います。
でも、娘はまだやる気を持っていました。
力が足りないのは仕方ない、でもバスケは好きだからがんばりたい。
そう言っていました。

そして5年生になる少し前の1月。
練習中に小指の骨を骨折。

やっと試合に出られる10人に入ったのに、新人大会には出場できませんでした。
ケガがやっと治って、練習に参加できる、と、なったところで、臨時休校に。
新人大会は中止。
夏季大会も中止。

練習再開してまもなく、今度は練習試合の最中、肋骨にヒビが入りました。

夏。
力を付ける為に練習試合が沢山組まれた夏。
娘が参加可能になったのは、お盆も明ける頃。

それでも、はりきって試合に出たいと出場した結果……。

思うように動けない身体、流れにのれず、ミスばかり。
ボールもさばけず、ドライブもできない。

結果下げられて終了。

ここで、初めて娘は『辞めたい』と口にしました。
5年生なのに、なんでできないんだ。






娘がケガをしていた間出場していた4年生が、コートには居ました。

思うように動けず、
ベンチから飛ぶのは罵声ばかり。

コートの中でもひっそりと、いるかいないのかわからない。
存在感を示せない。

そのまま、公式戦で一度もゴールを決める事なく6年生になりました。

今度はふがいない6年生と言って怒られるのです。

技術も、試合勘も、勝ちたいという気持ちも、何もかも足りず、チームメイトからは軽んじられ、頼りにされず、それでも入団の順番で4番になり、そしてきっとそれもまもなくはずされるのでしょう。

何がいけなかったのか。
勝ちに対してのこだわりが足りなかったのでしょうか。
3年生にプレイタイムで負けて、
それでもくじけず、腐らず、辞めず、続けてきただけでは不足だったんでしょうか。

居ても居なくても同じ。
足をひっぱっている。
その通りで何も言えません。

そして三つ目。

かろうじてベスメンにはなったものの、足手まといだと言われてシックスマンと交代を繰り返した最中に、今度は左足を骨折。
娘が居ない方が勝てるような気持ちにすらなりました。
もう復帰しない方がいいんじゃないか、とすら思えました。

復帰しても、ベスメンには戻れず、……そして。

今度はシックスマンが足を痛めました。
疲労骨折だそうです。

痛み止めを飲みながら、彼女は試合に出続けます。
娘が出場したのでは負けるからです。



大切な決勝リーグ。
無理でも出て欲しいと、言われたのはシックスマンの子でした。














ああ、
もう、
娘は必要ないんだ……。

そう思いました。





できる事、声を出すことすらできていないそうです。




声を出せていないから、パスをしてもらえないんだそうです。







速攻で前にいても、見てすらもらえません。

ハイポストでポジションをとっても、見てももらえません。





ハイポストに居ないで。


だそうです。


そして指導者にはポジションもとらないのか と、怒られるのです。













なんか、もう、いいや。

数合わせで居るだけでいいんじゃないかな。
4年生もどんどん上手になってるし。

今度は4年生に出場してもらえばいいよ。
5年生の新入団の子もいるよ。


ユニフォーム返しちゃえよ。
もうベンチにも入らなくていいよ。






バスケの他にも楽しい事は沢山ある。
嫌な思いをしてまで続ける必要なんてないよ。



コートの中で必死にできないなら、意味無いよ。
この先も、ちょっとやって、できないなら逃げればいいじゃん。
勝てないところで勝負しなくていいよ。

娘にがんばりたい気持ちがあるなら、いくらでも手伝いたいと思いました。


でも、娘のやる気が見られない。
ケガをした子の分までがんばろうという気概を全く見せない。

実際にやるのは娘です。
娘にやる気がないなら、母にはもうどうすることもできません……。