湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

ストレスとプレッシャー

中学の頃はブラスバンド部でした。
私の通っていた小学校が私のちょっと前の代で全国大会で金賞をとっていて、
当然同じメンバーが入っている中学校もレベルは高いわけで。
ブラスバンド部は小学校からの持ち上がり組が圧倒的で、中学から始めたのって実は私だけだったような気がします。
今思えば。

私が入ったパートはパーカッション。
1年は私と、小学校からやっていたI君。
他は2年生が一人と、3年生が一人というパートとしても少ないポジションでした。

さて、私が入った年のブラスバンド部は全部員足してたしか47名。
中学校のA部門は編成が50名以上で、A部門に出場するには3名不足していて、かといってひとつクラスを落とすと、今度は最大編成が40名で、7名出場できなくなる、という年でした。

結局人数を絞って出場する事になり、1年生の何人かは大会へ参加できなくなってしまったのです。

しかし、中学で始めた私の入ったパートは元々人数が少ない事もあり、私は出場できる事に。
小学校時代は全国大会へ行った同級生の何人かは大会へ出られず、入ったばかりの私が大会参加、という構図に。

居心地悪い事この上なし。
しかも、当時の曲が「吹奏楽の為の神話」大栗裕作・曲 で、打楽器が大活躍する曲。
(ただし活躍するのは太鼓の先輩2人でしたが……)

学校へ行くのと部活へ行くのがいやでいやでしょうがなくて、一時は学校へ行くふりをして隣の渋川市まで逃げた事もありました。(家庭科でスモックの布代をもらっていたので、そのお金を使い込んだんですよ)

学校へ行ったはずの私が学校におらず、しかもどこにも見あたらない、という事で大変な騒ぎになりました。

結局、行く宛の無くなった私が、車に隠れようとうちで借りている駐車場へ向かうところを母に発見されて連れ戻されて終了だったのですが……。

よく部活をやめずに、なんとか関東大会まで行けたなあと、当時の事はあまりよく覚えていません。
同級生からのあたりもキツかったし、先輩達も厳しかったし。
何で入ったばかりの子が……というのはあったのかもしれませんねえ……。

86年 自由曲のみ:吹奏楽の為の神話
87年 課題曲:マーチ「ハロー!サンシャイン」
   自由曲:プロコフィエフロミオとジュリエット」ティボルトの死

88年 課題曲:カーニバルのマーチ
   自由曲:ファリャの三角帽子