湯遊茶々 弐

申し込むだけ申し込んでほったらかしでした……。

7/1 義父が永眠しました

特別養護老人ホームに入所していた義父が7/1(金)の朝、永眠しました。
6時頃に職員さんが様子を見たときには呼吸していたらしいのですが、その15分後、息をしていない事に気づき、救急搬送されたものの、蘇生措置の甲斐無くそのまま心臓が動き出す事はなかったそうです。

6/28に支払いに行った時に、職員さんが面会していかれますか? と言って会ったのが最後になってしまいました。
喉頭ガンが見つかり、7/4(月)に緩和ケアの病院に診察に行く事になっていて、入院が決まる前に一度義母を面会に連れて行った方がいいね、などと夫と話をしていた矢先の事でもあり、やっぱりか、という気持ちと突然だなという事にビックリしました。

搬送された病院の先生曰く、腫瘍がだいぶ大きくなっていて、気道が狭くなっていた為、呼吸が充分ではなかったのではなかという事でした。気道が細くなっていたわりに苦しんだ様子はなくて、眠ったまま逝った様子が遺骸からは見てとれました。

平日の朝、娘は朝練の無い日でまだおりましたが、そのまま学校に行かせて、義母を留守番に、夫と病院へ行きました。

はたと思ったのが、義父をどちらに連れていくべきかという事で、
迷った結果マンションでは無く、実家の方へ行きました。
マンション、ストレッチャーが載るかわからなかったので……。

誰も住んでいない状況なもので、雨戸の隙間にハチの巣ができかかっていて夫が刺されたり、殺虫剤でハチを撃退しつつ縁側から義父を居間に入れて、エアコンをガンガン効かせつつご近所に相談したり義母を連れてきたり。

葬儀をどこに頼むべきか考えた時に、偶々義父が徘徊先で保護して連絡下さったJAこきぬホールさんにお世話なる事にしました。
組合員では無かったのですが、実家からも近いですし、ご縁があったという事で。

気温も高いですし、火葬場の手配をしなくてはという思いが強かったです。

諸々葬儀の手配がつき、通夜はせずに家族葬のみとしたものの、夫の実家のご近所さんがお線香をあげに来てくれたので実質お通夜のような感じでした。

返礼品を準備せずに、お香典は無しでとご近所には連絡したのですが、皆さん結局いくらか包まれたのであわてて葬儀屋さんに返礼品を準備していただいたりもしました。

祭壇なども(簡単なものではありましたが)すぐに用意していただきましたし、プロはすごいなあとしみじみ思いました。

葬儀は日曜、土曜日はお通夜ではないですが実質お通夜のような形で過ぎ、月曜には普通に出勤するというあわただしい週末でありました。(夫は月曜日も休みましたが、私は金曜日休んだ分のフォローをする必要があったので……)

娘は、金曜日学校から帰ってくると「おじいちゃんが朝方亡くなったよ」と少なからずショックを受けており、とはいえ、ミニバスの練習に顔緒出す約束を友達としていたので、練習に行く前に少し顔を見てお線香をあげて、ミニバスの練習に行きました。

さらに土曜日は地区大会の準決勝に普通に行かせました。(私も見に行ってしまいましたし……)

私の祖父が死んだのも私が中学一年の時で、その時は業者テストがあって、普通にテストに行ったなあ、とか思い出しました。
私の祖父は金曜日の夜に亡くなってお祭りを家の前でやっている都合で月曜お通夜、火曜日が葬儀だったような気がします。
9月の第一金曜日で、かれこれ40年近く前でしたが、棺桶にドライアイスを入れて、エアコンのある1階に置いていたような気がします。

夫は一人っ子ですし、義父の親族は皆横浜で、義父の兄弟も既に他界していたので、葬儀は私達家族だけで行いました。
最後に娘は義父宛に手紙を書いて、出棺前に棺に入れておりました。

思い入れあるものをお棺に入れてあげるといいですよ、という葬儀屋さんの言葉に、夫が実家の義父の机にあったという数独の紙を大量に入れたならば、数字の書いた紙に包まれるという大層シュールな絵面になっていました。

ちょっと意外だなあと思ったのが、最後のお別れの時に夫が泣いていた事。
めったに人前で泣いたりしない夫でしたが、唇に手をあてて、それから義父の頬に触れたりしていてかつて一度も見せたことのないような親愛の情を見せておりました。

斎場から火葬場へ行き、最後の最後のお経を上げてからお坊さんは帰っていかれました。
義父の実家が真言宗だった為、東村山の方から来て下さったそうです。
ありがたやありがたや……。

義父は体格もよく、身体の方はいまだに頑強であった為、四肢の骨はけっこうしっかり残っていました。
骨を拾うのも義母と夫、私と娘だけですからすぐに終わりまして、骨壺に収めた義父を今度はマンションの方に連れて帰り、会食などもしないで、テイクアウトのお寿司を買ってきて済ませました。

香典はいりませんと宣言したものの、結局皆さん持っていらっしゃったので、一旦お骨と共に実家に戻り、返礼品を配りつつ、葬儀の終了などを報告。
義母と夫は線香をあげに来る人がいるかもしれないと実家に残りました。

私はマンションのリビングの物を移動したりして祭壇を移動する準備をして、最終的に義父のお骨は今マンションのリビングに据えられました。

四十九日の頃に義父の実家の菩提寺(横浜)へ納骨に行く予定です。
焼き場ではそちらの宿泊の手配などをしておりました。

忙しく、慌ただしく、娘は日曜日の自主練にも行き、私の方は月曜火曜は仕事に出て水曜にやっと一息つきつつも、木曜は三者面談やらPTAの集まりやら、老人ホームの解約手続きやらあり、仕事、娘のバスケなどでやっと落ち着きました……。

お骨をそのまま持ってマンションのエレベーターに乗るのが目立つという事で、サーティーワンアイスクリームで売ってるエコバッグに包んで移動したりとか、本当にバタバタだったのですけれども……。

あと横浜まで運転するのが控えておりますが、ジャストお盆の期間なので、都内はすいているといいなあ……と、思っております。